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旗山駅について

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旗山駅の歴史

明治43年(1910年)8月20日、高砂製糖株式会社の糖業鉄道、九曲堂-旗尾間が開通しました。
蕃薯藔駅(旗山駅)の駅舎は大正2年(1913年)から大正4年(1915年)にかけて建てられました。ヨーロッパの童話に出てくるような八角錐の屋根が特徴的な建物ですが、切妻屋根や妻壁、駅舎内部の構造は日本の伝統的な建築様式で、特に当時流行していた「はかま腰屋根」は日本建築独特の風格を感じさせます。このように旗山駅は当時の建築技術の粋を集めた和洋折衷建築で、独特な存在感を放つその可愛らしい建物は今も人々の目を楽しませてくれています。
 かつて駅舎の前後には「五分車(軌間が国際基準の約半分の軽便鉄道)」が敷設され、駅の後方にあった線路が東方向に伸びる主要な線路で、旗尾製糖工場を通り終点の美濃竹頭角庄まで通じていました。また南方向へは九曲堂庄まで開通し、ここで打狗(高雄)、そして台湾全土に通じる縦貫鉄道と接続していました。
 当時、蕃薯藔駅(旗山駅)はこの路線で最も重要な貨物運輸の拠点で、近代の旗山発展の歴史に重要な役割を果たしました。

 昭和3年(1928年)3月、旗尾製糖工場は鉄道の経営戦略を改め、輸送の重点を従来の貨物輸送から旅客輸送へと転換し、動力車や新車両を導入しました。また便数の増加等を進め、旅客により快適で便利な輸送サービスを提供した結果、1930年代以降、蕃薯藔駅(旗山駅)を利用する乗客は10万人から30万人前後にまで増加し、昭和12年(1937年)には36万人に達しました。これは高雄州内の鉄道において屏東駅、高雄駅に次ぐ三番目に多い利用者数でした。
 第二次大戦後、旗尾鉄道の鉄道輸送は利便性の高い道路輸送に取って代わられ、五分車は次第に砂糖の原料や製品の輸送という本来の目的でのみ使用されるようになりました。1970年代、製糖業が衰退したため、民国67年(1978年)、旗尾線は廃止され、民国71年(1982年)には全線の線路が取り外されました。現在は駅舎と川床に設置された橋脚のみが残されています。その後、幾多の変遷を経て、民国94年(2005年)7月、歴史的建造物に指定されました。

旗山駅の駅舎

  •  建設時期:大正2年(1913年)~大正4年(1915年)
  •  建設年代:日本統治時代
  •  公告番号:府文資字第0940149542B号
  •  公告日 :2005年7月19日
  •  所在地 :高雄市旗山区中山路1号
  •  建造者 :不詳
  •  登録理由:
  1. 旗山駅はこの町の発展において欠かすことのできない重要な役割を果たしてきた建物で、旗山老街(古い街並み)とも密接な関係があり、日本統治時代の旗山の市街地や製糖業の発展過程を物語る貴重な建物であること。
  2. また台湾のその他の木造駅舎と比べ、その独特な建築様式と精巧な造りは特別な趣があり、この地方を代表する建造物であること。
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